「欲望」っていう言葉がもつ破壊力がすごい。
なんでしょうね、この背徳感は。
「欲望むき出し」とか、その使い方にも、なんとなく下世話な匂いがする。
でも、実は、自分に正直に生きようとすると、
これまで気づかなかった欲望が、いろいろ浮き上がってくる。
欲望って、なんなんでしょうね。
生きるために必要な渇望なのか?
いや、生きるためにどうしても必要でもないのに、欲しくなるのも欲望な訳で。
どこからくるんだろう、これは一体。
結婚して、子供を産んで、主婦になったら、
勝手なイメージの中の私は、てっきり、慎ましくなって、穏やかになって、
欲望とか無縁になるのかと勘違いしてた。
どんだけ自分を聖人だと思ってたんだ。
だけど、危なかったのは、私は、主婦たるもの、欲望とか、特に自分の物欲とか、顕示欲とか、
「そういうものを持つのは良くないことだ」と、無意識に自分を縛ってきたことだろう。
主婦でも、おしゃれしたいし、自分というものを大切にしたい。
⚪︎⚪︎ちゃんのママ、でも、⚪︎⚪︎さんの奥さん、でもない自分を取り戻したい。
それに気づくのに主婦10年以上が過ぎていったけど、でも、今はわかる。
主婦でも、自分を一番に大切に幸せにしないと、自分を削って失っていく。
それに実は、主婦が自分を大切にした方が、その家族の幸福度が上がると思う。
自分を無意識に抑制し、抑えつけてきた主婦歴10年以上の私は、
いつも、息苦しかった。
今日という日が、いつも昨日と同じ日としてやってきて、毎日、毎日、逃してくれない。
どこへいくんだろう、
私は、一体、どこへ行ってしまったんだろう。
私は、自分を見失っていた。
やりたいことも特になく、何が好きかもよくわからない。
私には、やりたいことや、好きなことなんて、もうできないのかな、と思うと泣きたかった。
私は、自分が思っていたような、
理想の主婦像の中には、自分としての心からの喜びを、全然見出せなかったのだ。
今なら、すごくよくわかる。
私は、主婦として、よりも、自分を生きることの方に、喜びを感じるのだと。
「欲望」というのは、世間がいいと言っているものを手に入れることではなくて、
「自分を生きる」ことだったり、「自分とは何か」という元なのかもしれない。
自分が何を望んでいるのか、それは本当は、善悪も恥もない純粋なエネルギー。
ほかの誰のものでもなく、ほかの誰も関係ない。
「自分が」どう思うか、どうしたいのか、何を望むのか。
そのことに素直に、忠実に生きる。
具体的にできないことが望みだったとしても、それを望んでいると認めること。
私は、自分として生きていきたいのだ。
これは、強い感情で確かにここにあって、疑いようがない。
これは、欲望なんだろうと思う。
私の心なのか、魂なのか何なのか知らないが、私は私になりたい、と叫んでいるのだ。
なんなんでしょうね、おかしいのかもしれないね。
だけど、そういう、意味がわからない感情でも、自分の底の方から湧き上がってきた感情は、きっと間違ってない。
それもわかる。
私の心からの欲求は、私にしかわからない。
だから、私は、ほかの人と同じようになろうとすることを、手放そうとしている。
ほかの人から見た「普通」を、もうここに置いていこうとしている。
ほかの人と同じように、普通でなくてもいい、とあきらめたら、
自分の理想像に届かなかった私を、一瞬、残念に思ったが、それでも、救われたような気がした。
もう、無理なものにならなくてもいいんだ。
私は、私ではない別なものに、必死でなろうとしていたのだ。
なれるわけがないのに。だってそれは私ではないから。
私は、もう、私に、なることにした。
そこから、私はだんだん、自分が本当に欲しいものや、いらないものが見えてくるようになった。
まだまだ、「普通」に合わせたくなる自分もいるのだが。
世間の常識がどう思うか、よりも、自分の心が本当はどうしたいのか、を聞けるようになったと思う。
欲望は、あっていい。
きっと、あって当たり前なのではないか。
それは、多分、本当になりたかった自分というものが、どこに行けばあるのかを教えてくれているような気がする。


