私がブログを書き始めて、1〜2ヶ月くらい。
毎日書いているわけでもないが、書きたいことはいまだに、たくさんある。
これまでに、noteを書いてみたことはあるが、1ヶ月くらいでやめてしまった。
私はどうも、神経質なのか、気にしすぎなのか、誰かの反応というのが気になってしまったからだ。
noteに私が書いた記事を、誰かが読んでくれて、「スキ」をつけてくれた。
すごく、すごく嬉しかった。
誰かが、私の文章を読んでくれたんだ、しかもそれだけじゃなく「スキ」をくれた。嬉しい。嬉しい。
定期的に、スキをつけてくれる人まで現れた。楽しかった。
だけど、それがいつしか、私を重たくさせていた。
今日の記事は、誰もスキをくれないのかな、こういう記事は読まれないのか。
そうなると、なんとなく、発信する内容を、自由に書いているようで、なんとなく縛られるような、そんな心持ちになってしまっていた。
完全に私の問題、なのは承知している。
私は、人の反応を気にしすぎなのだ。
だけど、それも、これまで私が懸命に生きてきた歴史の中で、学んできた生存戦略だったはずだから、それも受け入れている。
私は、勝手に窮屈になり、noteをやめた。
それからしばらく、何もしなかった。
ただ、私は10代の頃から、ずっと書きながら自分を整えてきたので、書くことは楽しくてやめられなかった。
書いていて楽しいのは、自分の内面に潜っていく文章だ。これって、今でいうジャーナリングなんだと思う。
それを、何十年も、ノート何十冊も続けてきた。日常の陰でひっそりと、それが私を支えてきた。
そして今は、自分でドメインを取って、ブログを書き始めた。
当然ながら、誰も読んでいない。誰も、このブログを知らない。
だけど、ここにこうして、自分の城に、自分の日常の言葉が積み重なっていくのが嬉しくてたまらない。
私しか、読んでいない。
あと読んでいるのは、Googleくらいかな。
私は、ようやく、見つけたんだと思う。
誰に止められても、お金ももらえなくても、それでもやってしまうことは何か。
ずっと探していた。
なんだろう、なんだろう、なんだろう。
美容?無理。掃除?絶対違う。
もう、私には、そんなものは存在しないと思ってあきらめていたが、違った。
ずっと、私と共に、その習慣は存在し続けた。
もうあきらめた、と思っている気持ちを、ノートに綴っていた。
心に何かが引っ掛かるたびに、私のノートは文字で埋まった。
あまりに、自然で当然で、呼吸みたいな感じだった。
そういえば、私にとって、書くことは意味のあることかもしれない、と気づきかけた時もあった。
数年前のある時、私にとって、書くことは大好きだから、それを仕事にしたらいいんじゃないか、と思ったことがあった。
その頃、家でパソコンに向かいながら、アフィリエイトブログを書いてみた。
すると、半年後には、月に30万くらい稼げるようになった。驚いた。
だけど、そこまで書いて、確か記事数は50記事くらいかな、そこで、全く、やる気が失せてしまった。
何も書けなくなった。もったいない。
書き続けたら、このまますごく稼げるんじゃないか、と思ったけど、どうしても書けない。
私は、決められた文章を書くのは、好きではなかったのだ。
せっかく、稼げるようになったのに、そのブログを必死で握りしめながら、同時に私は、見ないようにした。
徐々に、アクセスは減り、いつしか稼げなくなり、しばらくして、そのブログは閉鎖した。
それでも私は、書くことが好きだ、そして、誰かに届く文章を書けることもあるのだ、と思えた。
次に私は、アドセンスブログを書いてみた。
アフィリエイトのように、何か商品を紹介する文章を書くのは合わなかったが、自分の好きなことを書いて、そこに勝手に広告が貼られるのだったらいいのではないか。
そう思って、書き始めた。少しずつ、アクセスが増える。
だけど、アドセンスブログって、好きに書いているようで、全く好きには書けなかった。
誰かが好きそうな記事、読んでくれそうな記事、役に立ちそうなことは何か、そんなことを考えて、それを提供する。
少し、利益が出るようになり始めて、私は、やっぱり、退屈していた。
ちょうどその頃、下の子を妊娠していたが、切迫早産になり入院した。
ブログは、強制的にできなくなった。
私の人生では、そういう強制終了も多い。
私は、アドセンスブログも、やめた。
そこから、数年。
ただ、自分の内面を見つめ、自分の大学ノートに書き綴る日々が続いていた。
noteを始め、すぐに挫折し、そして、このブログにたどり着いた。
楽しい。楽しい。楽しくて、たまらない。
誰にも何も言われない。何を書いてもいい。書かなくてもいい。
誰も読んでいないが、それでも楽しい。
だったら、公開しなければいい、ということでもない。
私は、この、めんどくさい私自身を、外に出したいのだ。
反応は気になるくせに、誰かにも読まれたい。
しかも、こんなAIも動画も豊富な時代に、文章を書いている。
さらに言うと、役に立つ文章でもなければ、読んでいて「あー楽しかった」となる文章でもない。
そんなことは、わかっているのだが、書きたいし、それを発信したい。
もしかしたら、これが、誰かに届くかもしれないことも、実はあきらめてはいない。
だけど、それを期待して書いているわけでもない。
これは、私が、やりたくてたまらない衝動なのだ。
私は、ようやく、誰に言われなくてもやりたい、好きなものを見つけたのだ。

