私は、豊かになりたいと思っている。
それなのに、心のどこかで、豊かになっていくことを疑っているような気がする。
私は、豊かになりたいと思うのに、それを止めているのはなんだろう。
お金に関するネガティブな思い込みや葛藤について、考えてみる。
働いていなければ使ってはいけない
たとえば私は、以前は、働いていない主婦であるなら、お金を使ってはいけないと思っていた。
使いたいけど、自分で得たお金じゃないから使う権利がないという葛藤。
これを手放すのは大変だった。
ポイントになったのは、ゆるしと、自己受容だったかもしれない。
自分への無価値観を手放すことが鍵だ。これって、案外簡単ではない。
自分が扱える金額に勝手に上限を設けている
手元に持っていられるお金って、人それぞれ違うような気がしていて、私の場合、貯めたい目標金額に達した時、達成感を感じてしまい、そのまま停滞して、それ以上増えなくなった。
今のところ、これが「私の扱える金額」の上限なのかもしれないと思っている。
当初の目標よりも大きな金額を目指そうと思いつつ、なぜかモチベーションがそこまで上がらない。
お金は、使ったら無くなってしまうから、使うのが怖い
お金を使いたいけど、減ってしまうから使いたくない、というのも、よく感じていた。
使ったら減る、簡単な引き算で、当たり前なんだが。
ただ、「減ってしまうから使いたくない、と考えている時の買い物」において、「見ている対象」は、「買う物」ではなく、「お金」だったことに気がついた。
たとえば、私は、新しい服を買おうとしているのに、その買い物体験において意識しているのが、「新しい服を持つことの喜び、ワクワク」ではなく、「減っていく懐のお金」になってしまっているのだ。
本当は、買い物をするなら、手に入れられる「喜び」だけを感じればいいのに、そちらにフォーカスを当てず、「お金」をみてしまっていたのだ。
何かを買えばお金が無くなる。
使ってお金が減ることばかりにフォーカスを当てるから、そこには「お金が減った」という不足感ばかりが残ってしまう。
買い物で喜びを感じられない時は、自分にとって大切なのが、「新しい服を買うこと」より「お金を持っていたい」なのかもしれない。
どんな体験をしたいか、選べるのだから、それはどちらでもいいのだ。無理に買い物しなくてもいい。
お金に、価値を感じすぎている
もしかしたら、私はそもそも、「お金」というものに、価値を感じすぎているのかもしれない。
「お金」は確かに便利で、思っている以上に多くを解決してくれる。だから、お金は欲しい。
過去の私は、「お金」そのものが欲しかった。お金がなくて、いつかきっとお金持ちになる、と願っていた頃だ。
確かにお金は、「安心」をくれるから、それも大切なことだった。
だけど今は、世間で言うほどのお金持ちではないが、自分としては幸せに暮らせるだけのお金を「持っている」と感じている。
そして今、本当に欲しいのは、お金じゃないのかもしれない、と思う。
それなのに、「お金が欲しい」と勘違いしている。
私が本当に欲しいのは「お金そのもの」ではなく、そこから得られる「豊かさや体験」の方なのだ。
いいことがあれば、悪いことも起こるから、喜びを小さくする
プラスがあればマイナスがあり、マイナスがきたらプラスもくる。そういうのって、よく聞くと思う。
お金はエネルギーであり、エネルギーはバランスを取ろうとする、とか。
プラスにしたいなら、小さなマイナスを自分で作るといいとか、お金持ちは、豊かさを守るために、寄付をするという話も聞く。
すごく、本当っぽい感じもするし、かといって、それを実感したこともない。
これは、刷り込まれた価値観なのでは、と思いつつも、宇宙のエネルギー法則だと言われたら、そんな感じもする。
だから、とても厄介なのだ。
なんとなく、私は、この考えを本当のように感じていて、これ以上幸せになったら、不幸になってしまうかもしれないから、これくらいでやめておこう、といったブレーキがかかるのを感じる。
だけど、この考え方って、本当に本当なのかな?と思う。
そもそも、寄付がマイナスとは思えない。誰かの役に立っているわけだし、それも立派な善行為で、プラスなんじゃないの?
もしそうなら、私が、もし大金持ちになったり、超絶ラッキーで豊かになったりしたら、その分、何かの大きなマイナスを引き受けないといけなくなるのか?
そんな価値観から解放されている人たちが、お金持ちになり、超絶ラッキーになっているだけなのではないか?
私は、本当は、大きなマイナスなんて引き受けなくても、素直に単純に、豊かさを受け取ってもいいのではないだろうか、と思うのだ。
だけど、呪縛のように、プラスがあればマイナスが起こる、と無意識レベルに刷り込まれている。
これを手放してみたいんだが、まだ方法は見つかっていない。
まずは、これに気づいていくことが、大きくて確実な一歩だとは思っている。
お金を流すこと
お金って、「手元にたくさん持っていること」がお金持ちで豊かなのだと信じてきた。
だけど、これすらも怪しいと感じてきた。
持っているだけでは、何にも豊かではない、とようやく気がつき始めたのだ。
お金って、使うことで豊かになれる。
しかも、惜しみながら使うのではなく、心からの喜びを持って使うと、楽しくてたまらない気持ちになれる。
流すこと。お金や豊かさを、受け入れて、そして流す。
豊かさとは、流れなのではないか。
どれだけ豊かか、というのは、「持っている量」ではなく、「どれだけの量を流せるか」なのかもしれない。
私が今、安心して流せるお金の量が、私の豊かさを表しているような気がしている。
自分のためだけにお金を使ったら、豊かになれないのか
自分のためだけにお金を使っていたら、豊かになれないような気がしてしまう。
これは、慎ましく生きるための刷り込みかもしれないし、こう言うのもなんだが、若干、偽善的な匂いまでする。
そりゃもちろん、自分のためだけでなく、人のためにもお金を使ったらいいだろうし、誰かのために役立つことをすることは素晴らしいことだ。
だけど、それをしないと豊かになれない、といった脅迫的な観念はいらないのではないか。
私は、人というのは、まず自分を満たさない限り、人にはあげられないと思うのだ。
そりゃ、あげたいと思うよ。
だけど、それでは、自分を削って譲り渡すことになる。
身を削っている苦しさが、押し寄せてくる。そんなのは長続きしないのだ。
長続きすればいいというものではないから、自分を削っても誰かにあげるという体験がしたいなら、それもいい。
だけど案外、それで受け取った人たちも、嬉しさだけではない可能性もあるかなと思う。
私は、まず自分を満たさないと人にはあげられないと思うから、人にもあげないと豊かになれない、なんて本当ではないと思う。
まず、自分をひたすら満たしてあげる、そうすることで豊かになるし、そうすると自然と人にも分けてあげたくなってくる。
無理に、分けなくてもいい。その時はまた、自分を満たせばいい。
それでいいのではないか。
豊かになるための実験
私にとっての豊かさとは、そこに「喜び」が関係しているような気がする。
自分を一番に喜ばせつつも、他の誰かの喜ぶ顔が見られたら嬉しいって思うし、誰かと楽しいひと時を過ごせたら、それはかけがえのない時間になると思う。
もちろん、物質的な喜びも、最大限に欲しい。
いい香りに触れていたいし、肌触りのいいシーツや、新鮮な食べ物、素敵な音楽に、居心地のいいインテリアや間接照明も欲しい。気持ちのいい服を着て、旅行もしたい。
同時に、静かな夜に月を見上げたり、雨の音を室内で聞きながら眠りにつく時間もかけがえがない。朝の匂いも大好きだ。
私は、もっと豊かさを受け入れられる人間になりたい。
「喜び」にフォーカスをして買い物をしたい。
そして私は、自分だけではなく、誰か他の人の喜びでも、自分が嬉しく感じるから、できることなら、自分以外の喜びも増やしたい。
自分を一番に大切に満たしながら、誰かのためにも、お金を使ってみようと思う。
これを続けた先に、何が見えてくるのか。
ちょっと、楽しみである。

