自分が何をしたいか見失った私が、買い物で自分を取り戻していく話

お金

私は、主婦になり、子育てをするうちに、いつしか節約ばかり意識するようになっていた。

「私なんかに、こんな服いらない」

「主婦なのに」

「着ていく場所もない」

「もったいない」

そんなことを考え、家計を管理する者として、節約を美徳だと思ってきた。

ただ、そんな生活を続けるうちに、いつの間にか、知らないうちに、「自分」を見失っていた。

私って、何をしていたら楽しかったんだっけ。

私って、どんなものが好きだった?

何を買ったら嬉しかったのだろう。

どんな服が好きだったのか。

私は、自分が何をしたいのか、まったくわからなくなっていた。

私は、ただ、家族のことを優先し、無意識に自分を「我慢」させていた。

毎日、毎日、同じ日々。

昨日と同じ今日を繰り返すことに、うんざりしていた。

楽しいことも、なんだったかわからず、昔好きだったことも、今では何も楽しくなくなっていた。

心が動かない日々。

いつか、子供たちは巣立っていくのだから、今は子供を優先する。

それが当たり前で、他のみんなもきっとそうしていると思っていた。

今思えば、私は、ひどく自分を我慢させてきたのだ。

私は、「好きだから」育児や家事をしていたわけではなかった。

子供を育てるのが好きで、家にいて家事や料理をするのが好きな人なら、それでいい。

だけど、私は、どれも特に好きではなかった。

私をそうさせたのは、

「子供が小さいうちは、母として家にいてあげたい」

「美味しいご飯を食べさせてあげたい」

と信じていたからだと思う。

なぜなら、私が、それをしてほしかったからだ。

私には、無かったもので、

キラキラして見えるもの。

それを当たり前に、享受させてあげたい。

無意識レベルで、そう思っていたのだろうと思う。

だから私は、具体的なやり方もわからないまま、家にいる生活を選んできた。

イライラして怒鳴り散らす日もたくさんあった。

だったら、外で働けばいいのに、とも思うが、私のインナーチャイルドがそれを許してくれなかった。

どうしたら普通のお母さんになれるかもわからないのに、

私は、どうしても、普通のお母さんになりたかった。

それほどまでに、「私」が、普通のお母さんを必要としていたのかもしれない。

私は、一生懸命に、「普通」になろうとしていた。

「他の人と同じ人」になろうと努力していた。

でも、もう、それをやめた。

いろいろなことがあった。

心の痛い出来事も、経験した。

そして、そのうちに、私は、自分がたくさん我慢してきたことにも気がつくようになった。

自分でも、自分が我慢していると気づかないくらいに、自然に我慢できる私だったから、

それに気づくのには時間がかかったけど。

それから私は、

「誰よりも、どんな状況でも、まず第一に、自分を幸せにする」と心に決めた。

それが腹に落ちて、納得し、今では、私の信条となっている。

私を、一番に幸せにするために、自分のために服を買うことにした。

いつも同じ服を着ていた私が、行くところは近所のスーパーしかなくても、心が少し浮き上がるような服を買ってみた。

いつもなら勿体無いと思って買わなかった金額でも、「買っていい」と自分に許可をした。

どんな服も買ってもいい、と思うと、なんだか急に、買い物が楽しくなった。

最初は、どんな服がいいのか、よくわからなかった。

それでも、失敗もしつつ、それでもまた、服を買ってみる。

そのうちに、「これ大好きだ」と心がじんわり感動する服が出てくるようになった。

ああ、私は、こういう服が好きだったんだ。

そういう服を買って、しまっておき、クローゼットを開けるたびに、心が明るくなった。

好きな服を買うことまでは、できるようになったものの、私はまだ、それを着ることができなかった。

何もない日常で、もったいなくて。

しばらくは、クローゼットを眺めてウキウキ楽しんでいたが、

着ないんだったら、もう売ってしまおうかな、とすら思い始めた。

でも、売ったところで、たいした金額にもならないし、

私はむしろその服を、中古で安く買えたとしたら、もっと気軽に日常の中で着倒せるな、と思ったりした。

要するに、高い金額の服は、私には勿体無いと感じていたのだ。

私には、高い金額の服を着せる価値がない、と。

やっぱりこれでは何も変わってない、と思い直し、まずは、家の中で着ることにした。

午前中、誰もいない家の中で、素敵な服を着て過ごし、汚れてしまう前に普段の服に着替えた。

本当に、書いていても、随分みみっちいから嫌なんだけど、これが当時の私。

だけど、これを繰り返すうちに、いつの間にか、そのままちょっと外を歩いてみたり、カフェに行ったりすることもできるようになってきた。

好きな服を着ている時、私は、思っていたよりもずっと、気分が良かった。

いつの間にか、そんな自分が好きだとも思うようになっていた。

自分に、好きな服を買って着ることを許した私は、不思議と、子供や夫にイライラすることも減っていた。

好きな服も買わずに私は我慢しているんだから、あなたたちも言うことをきいて我慢してほしい。

って、心のどこかで感じながら、バランスを取っていたんだろう。

それが、自分の「好き」を自分に許したら、人の「好き」も自然と許せるようになっていた。

いつの間にか私のクローゼットには、好きな服ばかりが並ぶようになり、

自分がどんなものが好きだったか、わかるようになってきた。

さらに、どんな服が似合うのかも、わかるようになってきた。

今では、自分の好きな気分で服を選べるようになり、そして多分、それが、私の「自己肯定感」を上げている。

それは、服だけに限らず、食器の選び方や、コスメの選び方、暮らし方にまで広がっていく。

私は私でいていい。

私には、素敵な服を着る価値がある。

そんなふうに、毎日思っているわけではないのに、

好きな服を着ている毎日が、自然と私にそう思わせてくれている。

そして私は、今日も好きな服を洗濯して、それからスーパーに出かける。