お母さんが楽しそうなのが一番。また「いいお母さん」になろうとしていた

気付いたこと/手放したこと

先日、連休で遊びに来ていた兄夫婦が帰って行った。

大変な大雨で、遊べる期間は短くなったけど、台風が去った後で1泊2日で泊まりに来てくれた。

おかげで楽しかったわけなんだが、帰った後で、兄嫁からメールがきた。

「もしかして、何かあったりしたの?」と。

え?なんか、あったっけ?

何もないけど、何かあったっけ?と返信すると、

「お疲れだったみたいだから」と返事が来た。

私は、お疲れだったのか、と思いながら、でもまぁ、そりゃそうである、と思った。

兄夫婦が泊まった日は、みんなで、大いに食べて飲んでお喋りして、気づいたら深夜1:30だった。

そりゃ眠い。

で、翌日は、娘がテストを受けに行くことになっていたから、6:30起きである。

眠いってば。

朝、なんとか娘と夫を駅まで送り、帰宅した私は、ゴロゴロと寝室でのんびりして、ご飯を作る合間は、ほぼゴロゴロしていたから、それを見て感じたのかな?

夜更かしすると確かに、次の日は10歳くらいは老け込む気がする。

同時に、もしかすると、また私は自分を追い込んだりしていないかな、と振り返るきっかけにもなった。

私は最近、YouTubeでみた断捨離動画に刺激を受け、キッチンを片付けるべく、少し便利そうなグッズを買ったところだった。

さらに、テキパキと掃除をする動画を見て刺激を受け、私も隙間時間に少しだけ拭き掃除をしてみたり。

自分では、体を動かしながら部屋がきれいになって、心地がいいと思っていたけれど、もしかしたらまた私は、自分を追い込んでいるのかな。

自分に問いかけてみる。

無理はしていない。そう思った。

頑張っているか、といったら、頑張っているのかもしれないけれど、つらくはない。

と、そう思っていたのだが。

実はそうでもなかったのかもしれない。

兄たちが帰って行った後、2日くらいは何もやる気にならず、なんとか夕飯を作るだけ。

そんなぐったりした日に、久しぶりのピアノのレッスンを入れていたことを思い出し、それもなんとか行ってきた。

ついつい、楽しくて、先生とおしゃべりをしてしまうのだが、そんな雑談の中で、私はこんなことを言っていた。

「うちの息子は、ぬけていて、でもそれは私のせいかも。私が朝から着替えもせずにコーヒー飲んで、早くしなさいって言ってるから。私がもっとテキパキ動いていたら、息子もしっかりするのかも。」

すると、先生は優しくこう言った。

「お母さんは、しっかりしようとするより、楽しく幸せに過ごすことが一番大事よ」

ドキッとした。

お母さんが楽しそうなのが一番、子供にいい影響を与えるのだ、と。

そうだった。

私は、また、頑張ろうとしていたんだな。

私が思う「いいお母さん」になりたい、家がきれいに片付いてて、頼りになって料理が上手。

おおらかでしっかりしている。

夫いわく、そんなお母さんなんて世の中に存在しないんだから、目指す必要ないって言ってるけど。

さらに、ピアノの先生は言っていた。

「コーヒー飲みながら、子供たちに、大人は楽しいわよ〜、早く大人になりなさいって言ったらいいじゃないですか」って。

こんな大人になりたいって思われたとしたら、そんな人が身近にいることは子供にとって貴重ですよ、なんて。

ほんとに。その通りだった。

私は、何をやっていたんだろう。わかっていたはずなのに、わかってなかったな。

私って、すぐに頑張ろうとするよなぁ。自分でも気づかないうちに、ちゃんとしなきゃ、って思ってしまう。

なぜか、いつの間にか、今を楽しむことの優先順位が下がっていた。

家をきれいにして、しっかりしたお母さんになれるような気がして、YouTubeでみたそんな人になれる気がして。

理想の自分になれるように。

私は、無理してたのかもしれない。

ピアノの先生は、こうも言っていた。

「お母さんが、なんでもしっかり頑張ってスキがないと、子供って案外、息苦しくなるんですよ」と。

それもそうかもしれない。

どんなに家がきれいでも、どんなにテキパキ動くお母さんでも、お母さんが楽しんでいなかったら、一緒に暮らす人も、しんどいかもしれない。

私は、YouTubeでみた、テキパキ掃除する人のようになろうとしたからダメなわけじゃない。

やってみたい、私もそうなりたい、と思うのは、いいことだと思う。

ただ、最近の私の場合は、どうしてかまた、今を楽しむことを忘れていた。

ゆっくりと、風を感じたり、空気の匂いを嗅ぎ、空を見上げ、ほっとその場にとどまること。

そんな今を感じることを忘れ、タスクの中に埋もれようとしていた。

タスクがあるのは、誰しも無くせないかもしれないが、今にとどまる工夫というのはできるはずなのだ。

また、私の中で、大事な場所に戻ってくることができた気がする。