特別になりたい、という気持ち

心の模様

先日、私は、ラグジュアリーなブランドで買い物をした。

私にしては、だいぶ思い切って入った店舗だった。

かつて、だいぶ昔に1度だけ入ったことがあるブランドで、その時は、そそくさと立ち去った。

それが、歳を重ねたら、そんなブランドも使ってみたくなった。

気になっていたバッグを手に取った瞬間、多分、私の体から光が出たんじゃないかと思うくらい、高揚した。

バッグを持って鏡をのぞいてみたら、思ったよりも違和感がない。

私は、自分のことをナチュラルなタイプだと思っていたが、なんだ、こういうのも思ったより似合うじゃん。

私は、だいぶ思い切って、そのバッグを購入した。

これまでの私なら、迷ってやめて、色々考えて、考えすぎて、結局やめる、となりそうなところ。

私は、最近、変わりたいのだ。

自分の心を解放したい。

好きなものに忠実でいることを、許せる限り許してみたい。

そこは、さすがの社員教育で、接客がさりげなくて、あたたかくて、でも抜かりない。

ちゃんと私を見ているし、話も聞いているし、相槌のタイミングも内容も申し分ない。すごすぎる。

こうしたブランドバッグは、中古でも売っているが、夫は、ブランド物を中古で買うことを本当に嫌がる。

安く買いたいなら、ブランド物を買うな、と。はい、ごもっとも。

これまで私は、そんな言葉を無視して、同じ商品なら安い方がいいじゃん、と言ってきたが、今回の買い物で、その認識は見事に覆された。

店舗での買い物は、素晴らしい。

当然かもしれないが、私を特別扱いしてくれる。

大切なお客様、として丁重に対峙してくれる。

こんな体験をすることも、そうそう無いから、私は、このブランド店舗での買い物体験が非常に楽しくて、夢のような時間を過ごした。

持ち帰ったバッグは、丁寧に薄紙に包まれた後、保管用の布袋に包まれ、さらに素敵な箱に入れられて、その上から、心躍る太いリボンがかけられて、美しくラッピングされていた。

あまりにも美しくて、開けるのが勿体無い。

しばらく見惚れて、私は、貧乏くさく、ラッピングの写真を撮った。少し開けては、また写真を撮って、ようやくバッグと対面した。

美しいバッグだった。

艶も、存在感も、持った時のしっとりとした重さも、バッグとしての存在感を否応なく放っていた。

ずっと、欲しかったバッグ。

スマホに写真を保存して、たまに眺めてきた憧れのバッグだった。

私は、今、それを手にしている。

想像では、家でこのバッグを持ったら、もっと感動するのではないかと思っていたが、現実はそうではなかった。

確かに、嬉しくて静かに感動はしている。

だけど、飛び上がるような嬉しさではない。

むしろ、私にとって、それを持った今が、まるで当たり前かのような、そのような静けさだった。

そんなことが、自分でも意外だなと思いながら、また静かにバッグを箱に戻した。

こんなに素敵な、高揚する体験は、なかなかすることはできない。

さらに、私は、自分を特別扱いしてくれる体験を「楽しい」と感じたことも意外だった。

今までの私なら、私なんて、と感じたり、大切に扱われたら、逆に居心地が悪く感じたように思うのだ。

私は、自分がチヤホヤと大切に扱われることを、受け入れられるようになったことに感慨深くなった。

これって、ホストクラブに通う子の気持ちなのかな、とか想像してみたり。

意外にも、店舗で私を特別扱いしてくれる体験に酔った後、これまた素晴らしいタイミングで、メールがきた。

今なら普段は入れない特別な場所でおもてなしができます、いらっしゃいませんか、というメッセージだ。

すごいな、ほんとに。

でも、完全に私を誤解している。

大金持ちか何かだと思っているかもしれない。

今時は、普通の服装をしていても、親の遺産を受け継いでいたり、実はビジネスで大成功していたり、いろんなセレブがいるだろうから、店員さんは、私なんかにも丁寧で少し申し訳ない。

夫に、それを説明したら、「今しか行けないなら、行ってきたらいいじゃん。俺なら絶対行く。」という。

夫は、楽しいことや新しいことが大好きだ。

私も、楽しそうだな、とは思う。

だけど、夫ほど楽しみにも感じていない。素敵だな、くらい。

自分の気持ちをしばらく見つめていたら、分かったことがあった。

私は、いつか、できれば自分の力で認められて、そしてちゃんと特別扱いされたいんだな、と。

お金を払ったから特別扱いされるのではなく、自分を認めてほしい。認められたい。

私は、特別じゃない。

ただの主婦であり、昔働いていた時も、一生懸命努力して、ようやく人並みに届くかどうかのレベル。

頑張っても、ビジネスセンスないなぁ、ということが分かった。

ちょっとだけ得意だったのが、投資くらい。だけどそれも、突き抜けるほどでもない。

料理も、得意でもないし、それほど好きでもない。だけど手料理が好きだから作るけど。

掃除もできれば誰かしてほしい。でも綺麗な部屋にいたい。

子育てだって、上手にできてる自信ないし、体力もあんまりない。言ってみたら、それほど根性もない。

そんな何者でもない私が、自分を大切にしようと決めたら、自分を特別だと思いたくなった。

自分にも、特別な才能がある、と思いたい。

だけど、そんなことを思うのは、分不相応な気もするし、そんなことを願うのは高望みな気もした。

なぜ、慎ましく、目の前の幸せな生活を見つめて、満足できないのか。

毎日、生活をすることができて、健康な夫がいて、元気な子供に恵まれて、小さくても自分の家に住み、そんな中で、一体何に不満があるというのだ。

そう思っていた。

そうやって、自分を枠に閉じ込めていたのは、自分だったのだ。

私は、特別になりたい、と願ってもよかったんだ。

数年前に出会った女性のことを思い出していた。

その人は、50代のいわゆる美魔女的な美しい人で、最近自分のビジネスを始めたばかり。

長年主婦をしてきたその人に、どうして仕事を始めたのか聞いた時、その彼女が言い放ったのだ。

「私は、こんなもんじゃない、と思った」

正直、引いた。

強すぎる言葉、圧の強い空気、ギラギラの隠せない顔。

すげぇ、やべえ。

私はでも、その人に興味が湧いて、もしかしたら仲良くなれるかもしれないと思って、もう少し質問をしてみたら、そこで彼女は私に営業トークをしてきた。

自分の商品を試してみたら、変わると思うし、買わなくてもいいのだと。

内心、さらに、引いた。

この人は、私と友達になる気はない。私は友達がほしかったのに、営業されてる私。

あの時、私は、その人に、がっかりしたのだ。

私は、人として対峙していたつもりが、その人は私を見込み客としか見ていなかった。

今でもそう思うが、だけど、同時に違うことも思う。

彼女は、ものすごく自分に正直だったんだ、と。

自分の欲望に素直でいる強さを持っていたんだなと。

私は、あんなに真っ直ぐに、自分の欲を表現できない。

彼女は、何も曲げず、隠さず、ありのままに、自分の欲をそのまま口にした。それができた。

だから、行動が変わり、自分のビジネスを持つまでになったのだろう。ちゃんと変わろうとした。

自分を認めた。

今更、あの日出会った、強烈な女性のことを思い出している。

今、私は、かつて恥ずかしかった感情に光を当てる。

私も、特別になりたい。

ビジネスがしたいわけでもない。

私は、純粋な私自身になりたいのだ。

私の心を解放し、できることなら、心のままに動きたい。

私にしか歩めない道を進む時、きっと私は、特別になっているんじゃないかと思う。