ワクワクすることをすればいい、とか聞いたことあるかもしれない。
宇宙存在のバシャールという存在が「ワクワクに従って生きるだけでいい」といったことを発信していたが、スピリチュアル界隈でよく聞くように思う。
私は、それを聞いた時、ふーん、と思ったが、今ひとつピンときていなかったかもしれない。
ワクワクって、なんだよ、と。
人間界に、汚されたものである。
ワクワクすることをする、それはなんだ。
私のワクワクは、なんだ。
ワクワクよ、どこへ行った。
ワクワクすることをすればいい、と言われた瞬間から、私は見失った自分のワクワクを探さなくてはならなくなった。
私には、ワクワクに相当するものが見当たらなかった。
小さい頃、何が好きだったか思い出してみた。そこに答えがあるかもしれない。
私は、小さい頃、自分で勝手に思い描いたものを作り出すのが好きだった。工作とか、手芸とか、絵を描いたり、塗り絵をしたり。
だけど、今、それをやってみようと思うと、なんと、苦行に近い。
どうしたんだ、私のワクワクは一体いつの間に、こんなに枯れたんだろう。
仕方がないので、私は、自分のワクワクを過去に求めるのをやめることにした。
今の私が、ちょっとウキウキ楽しくなることはなんだ。
最初は、大きなワクワクは見つけられなかった。
美味しいコーヒーを飲みにいくこと。
ちょっと美味しい高価なチョコレートを買って食べること。
コーヒーの生豆を買ってきて、焙煎して飲んでみたら、美味しすぎて悶絶した。
スーパーで売っている生花を、キッチンに飾ってみた。
タイ料理を食べに行ったり、美味しい中華料理を食べに行った。
高価だと思っていた肌触りのいいパジャマを買って、それで寝てみた。
いい香りの入浴剤を使ってみた。
お香を焚いてみた。
クリスタルを買って、飾ってみたり、中を覗き込んで楽しんだ。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、私のワクワクは感じられるようになっていった。
私は、大人になるにつれ、「こうあるべき」「こうしなくてはならない」という厳しいルールの中に自分を押し込んで、苦しくなっていたのだった。
自分にも、そうあるべきだと監視の目をむけ、他人に対しても厳しく取り締まった。
そういうものを少しずつ手放すのが先か、それともワクワクを自分に許すのが先か、よくわからないが、それらは同時に変わっていった。
こうあるべき、という考え方は、時に自分を苦しめる。
〜の方が幸せに感じるよね、はあっても、〜でないと幸せではない、〜するべき、となると苦しくなると思う。
そして今。
今、私は、このブログを書くことが楽しい。ワクワクしている。
だけど、これが何かの役に立っているのか、といったら、立っていないかもしれない。
そもそも、まだ誰も読んでいない。
だけど、それでいいような気がするのだ。
楽しいことをする、それがどこにつながっているか、わからなくてもいい。
何かの役に立つかどうか、わからなくてもいい。
ただ、ワクワク楽しいと感じられることをすること。
私は、今、それに従っている。
ここには、なんの答えもないのだ。
行き先もわからない。どこかに辿り着かないかもしれない。
だけど、それでもいい。
ただ、楽しい、やりたい、と思ったことをする。
私はいま、幸せだなぁ、と思うのだ。


